金融を牛耳るユダヤ人「ロスチャイルド家」君臨の礎を築いた逸材とは? – ZUU online

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ここではお金という観点から欧州の歴史を振り返りますが、そうなると最初にユダヤ人について触れざるをえません。

第二次世界大戦下のヒトラーによる大虐殺にとどまらず、古くからユダヤ人は欧州で数々の迫害を受けてきました。欧州とは、すなわちキリスト教社会です。「イエス・キリストはユダヤ人によって、ゴルゴタの丘で十字架に磔にされた」との俗説が言い伝えられてきたからです。

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(写真=Thinkstock/Getty Images)

(本記事は、菅下 清廣 氏著『歴史から学ぶお金の「未来予測」』かんき出版 (2015/7/3)の中から一部を抜粋・編集しています)

菅下 清廣
スガシタパートナーズ株式会社代表取締役。国際金融コンサルタント、投資家。立命館アジア太平洋大学学長特別顧問。マーケット情報配信サービス「スガシタボイス」、株価の解説・予測が無料で読める「スガシタレポート オンライン」を配信中。

グローバルに金融を動かしてきたユダヤ人

このため、欧州社会でユダヤ人が就くことができる職業は著しく制限されていました。そこで、彼らがもっぱら営んだのが金融業(金貸し)です。こう聞けば、シェイクスピアが書いた『ヴェニスの商人』をすぐに連想する読者も少なくないことでしょう。そう、主人公にお金を貸したシャイロックはユダヤ人でした。

シェイクスピアもシャイロックのことを完全に悪玉として描いていますが、かつての欧州社会で金貸しは人々から蔑まれる職業だったのです。なぜなら、当時のキリスト教ではお金を貸して利息を得ることを禁じていたからです。

やがて中世を迎えて教会の力が弱まるにつれて、そういった道徳観もうすれていた頃になると、すでにユダヤ人たちは長年の営みを通じて金融のノウハウを確立しており、その商売で彼らに太刀打ちするのはもはや困難でした。しかも、ユダヤ人は逆境を逆手にとってビジネスを多角化していったのです。

十字軍の遠征の際には、借金する度に高い利息をとられていたこと逆恨みし、兵士たちは道すがらユダヤ人を虐殺したと伝えられています。また、虐待から逃れるためにユダヤ人たちは欧州内外のあちこちに離散しました。そこで、各地のユダヤ人たちは連携し合い、貿易の決済も手掛けるようになります。それが、今日の為替業務につながっていくわけです。

ユダヤ人は酷い差別を受けたばかりか、理由なく財産を没収されることもしばしばでした。中世の時代ではユダヤ人と判明しただけで、お金を奪い取られるようなことも横行していたのです。

そういった略奪に対する防衛策として、彼らは無記名形式の証券(銀行券)を発行・流通させる銀行業を考案し、欧州各地に展開していきました。名前が書かれていませんから、誰の財産かがはっきりせず、没収を逃れられたわけです。

このスキームが非常に合理的で利便性も高いことから、欧州の国々も銀行を設立して銀行券を発行するようになりました。それが現在の中央銀行や紙幣のルーツです。

つまり、ユダヤ人はすでに中世の時代において、今日の金融業務のほとんどの礎を築いていたということです。米国の歴史の章でも触れますが、現代社会においてもユダヤ人は金融分野の中枢で活躍しています。

ロスチャイルド家の飛躍

お金がなければほとんどのことが成り立たないのは、個人の営みのみならず国家も然りです。特に欧州諸国は隣国などとの戦いに明け暮れてきたので、〝富国強兵〞が大命題でした。

殖産興業と軍備拡大、そのどちらを果たすにも先立つものがなければ話になりません。それらの資金を調達するうえで、金融を牛耳っているユダヤ人は絶対に欠かせない存在となったわけです。

こうしたことから、ユダヤ人の中でも特に手広く事業を展開していた人たちは、国家に対しても強い影響力を有するようになりました。その中でも突出していたのがロスチャイルド家です。

世界的に名高いフランスのボルドー地区において、そして世界的にも頂点に立つのが「5大シャトー(醸造所)」と呼ばれるワインです。列挙すると、シャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・マルゴー、シャトー・ラトゥール、シャトー・オーブリオン、シャトー・ムートン・ロートシルトです。

ドイツ語に詳しい人は、もう気づいたかもしれません。5銘柄のうち2銘柄が「ロートシルト」と冠されていますが、これをドイツ語ではなく英語の読み方に直すと「ロスチャイルド」となります。どちらも、これから詳しく説明するロスチャイルド家にゆかりがあるものです。

18世紀後半、神聖ローマ帝国の支配下にあったフランクフルトは同国直轄の「帝国自由都市」で、一定の範囲内で自治が認められていました。そして、この街にはゲットー(ユダヤ人の隔離居住区)が設けられており、そこで1人の青年が古銭商を始めました。彼の名前はマイアー・アムシェル・ロートシルト。彼こそがロスチャイルド家君臨の礎を築いた人物です。

彼の先代までは、細々とした商いにすぎませんでした。やがて、彼は当時の欧州でも有数の資産家である貴族のところに出入りするようになり、為替業にも手を拡げていきました。

もっとも、ロスチャイルド家の本当の飛躍が始まったのは、マイアーの子どもたちが商いを手伝うようになってからです

彼は一族の団結を何よりも重視し、「協調、誠実、勤勉」を家訓としてきました。後にオーストリアのハプスブルク家から授与されたロスチャイルド家の紋章にも、その言葉が記されています。

1812年にマイアーはこの世を去りますが、こうした教えは子どもたちに受け継がれ、彼らがロスチャイルド家を大いに発展させていくことになります。

グローバル戦略の先駆けだったロスチャイルド兄弟

マイアーには、5人の息子がいました。彼らが手伝うようになった1790年代、ロスチャイルド家の銀行ビジネスはぐんぐんと規模を拡大し、欧州のあちこちに進出していきます。

そして、フランクフルトの本家は長男のアムシェルが受け継ぐ一方、次男のザーロモンはウィーン、3男のネイサンはロンドン、4男のカールはナポリ、5男のジェームズはパリへと赴き、それぞれが現地で銀行業を営みました。いずれも当時の欧州、そして世界を代表する都市で、現在で言えばグローバル展開です。

彼らの中でも、金融王として大いに名を馳せることになったのはネイサンです。兄弟の中でいち早く海外進出を決断したのも彼でした。1790年代の終わり、フランクフルト周辺では綿製品の品薄状態が深刻化していました。神聖ローマ帝国が崩壊したのは1806年で、もはやその頃は戦乱の世となっていたからです。

そこで、彼はイギリスのマンチェスターへと赴任しました。すでにかの国では産業革命が起きており、綿製品の大量生産が行われていたからです。

ネイサンは大量購入によってそれらを安く仕入れ、ドイツで販売しました。彼は金融と産業を結びつけることによって、巨額の富を得たわけです。

続いて、1800年代に入ると早々にロンドンへと移り住み、N・M・ロスチャイルド&サンズを設立し、手広く金融ビジネスを営むようになります。

ちなみに同社は現存しており、グローバルに拠点を展開してM&Aのアドバイザリー業務で世界有数のシェアを獲得しています。同社は開業して間もなく、国債市場を支配するようになり、現在のJPモルガンやゴールドマンサックスなどといった主要投資銀行を合体させたほどの力を有していたと分析する専門家もいます。一方、他の兄弟たちも負けてはいません。特に彼らは、鉄道事業への投資に力を注ぎました。

ウィーンに移住した次男のザーロモンは皇帝から認可を受けて鉄道会社を創設し、長男のアムシェルもドイツ国内の鉄道網の整備を進めました。また、5男のジェームズもフランス国内や周辺国の鉄道事業に熱を入れました。

「ワーテルローの戦い」での巧みな情報操作

ネイサンがロンドンへの進出を果たした頃、フランスには歴史的なヒーローが登場しました。フランス革命(1789年)後の混乱を鎮めて1804年にフランス第一帝政の皇帝となったナポレオン・ボナパルトです。

ところが、まるでこの英雄を手玉にとるかのような手法によって、ネイサンは莫大な利益を上げます。その1つは、1806年にナポレオンが下した「大陸封鎖令」に目をつけたものでした。

フランス支配下の国々にイギリスとの貿易を禁じ、同国を経済的に封じ込めようとしたわけですが、これはネイサンにとって願ってもないビッグチャンスでした。フランス支配下の国々がこの令に従った途端、綿製品はもちろん、コーヒーやタバコなどの嗜好品の値段が急騰したのです。

それらはもっぱらイギリスおよびその植民地から輸入していたわけですから、当然の現象です。つくづく、ナポレオンには政治経済面の才がなかったのだと痛感させられます。ナポレオンとは対照的なのはネイサンでした。

かたやイギリス国内では、輸出先を失ったことでそれらの品々の値段が急落していました。この価格差に着目した彼は、イギリス国内で安く仕入れて密かにフランス支配下の国々へ密輸しました。そして、彼からバトンを受け取った兄弟たちが売りさばき、まさに笑いが止まらないような利益を得たわけです。

密輸ですから明らかに違法行為ですが、品薄で入手に困っていた市井の人々にも喜ばれたそうです。さらに、ネイサンは5男のジェームズと協力し合い、その密輸ルートを通じてイギリスが反フランス陣営国へ提供した軍資金の輸送も手掛けました。

イギリス政府から託された軍資金は堂々とフランス国内を経由し、反フランス陣営へと送られたのです。ナポレオンがその事実を知ったら、さぞかし激怒したことでしょう。

最後の最後まで、ナポレオンはネイサンに利用されるハメになります。連合国に包囲されてついにはパリが陥落し、ナポレオンは失脚しますが、1815年に流刑先のエルバ島から帰還して皇帝に返り咲いたのは有名な話でしょう。

そして、その年の6月16日からイギリス、オランダ、プロイセンの連合軍と交戦し、6月18日の戦いで大敗してセントヘレナ島に流され、不遇の死を遂げたのも周知の通りです。この負け戦がいわゆる「ワーテルローの戦い」ですが、ネイサンの耳には「ナポレオン敗れる!」の知らせがいち早く飛び込んできました。

しかし、あえてネイサンはイギリス国債を大量に売りました。本来なら、イギリス側が勝利したわけですから、イギリス国債の価格は上がると読んで買いに回るべきです。

ネイサンが派手に売ったことから、他の投資家たちも直ちに追随し、価格は暴落しました。早耳の彼が慌てて売ったのだから、イギリスが負けたに違いないと誤解してしまったのです。すかさずネイサンは、安値になったイギリス国債を買い戻します。そのうえで、イギリス中に「ナポレオン敗走! イギリス側勝利」の報道が伝わって国債価格が急騰した時点でちゃっかり利益確定売りを入れたわけです。

これが世に言う「ネイサンの逆売り」です。後の世に創作されたものだとの説もありますが、こうした逸話が残るほどの逸材だったのは間違いありません。(ZUU online 編集部)

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