県立金沢文庫と大橋新太郎 ゆずの素めぐり 物語でめぐるわが街 紅葉狩りは下にも目線を 人々を魅了した別荘地・富岡 伊藤博文、野島に別邸を 枝垂れた葉は裏表が逆に … – タウンニュース

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 鎌倉幕府滅亡後、金沢文庫の収蔵品は称名寺が保管してきた。時の権力者が貴重な資料を持ち出した記録もある。

 明治30年(一八九七)、総理大臣伊藤博文が金沢文庫再生を図り境内の大宝院敷地内に石倉と書見所を建てさせたが、大正12年(一九二三)の関東大震災で倒壊した。

 昭和3年(一九二八)神奈川県の金沢文庫復興の意図に大橋新太郎が賛同し県と同額の五万円の負担を申し出て神奈川県立金沢文庫が設立されることになり、昭和5年(一九三〇)開館した。この際の契約書には、金沢文庫を県の経営とし永久に維持する内容の一文がある。金沢文庫開館後も陳列棚類、備品に関わる代金千円など金沢文庫の活動に貢献した。

 大橋新太郎は新潟県長岡市出身、父佐平が東京で創業した出版社博文館を継ぎ大きく発展させ、また他の事業にも参画して大資産を形成した。称名寺の東隣に別荘を持ち金沢を愛し、金沢区の中心部となる泥亀新田を買い取り、金沢三山に百観音の石像を奉安配置、金沢山の頂に八角堂を建立、須磨子夫人の名で鐘楼を寄進するなど称名寺・金沢文庫以外にも区内に多くの足跡を残している。

 平成2年(一九九〇)県立金沢文庫は創設の地に新館が完成し、国宝・重要文化財を含む貴重な資料が保管管理され現在に至っている。
 






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