今日は真珠湾攻撃があった日 – Viewpoint

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 今日は真珠湾攻撃が行われた日です。
このことについて、私たちは歴史の教訓をしっかりと学ぶ必要があると思います。

着底し傾いた戦艦アリゾナ

着底し傾いた戦艦アリゾナ

 76年前の今日、真珠湾攻撃が行われました。
戦後書かれた日米の戦争に関する記述は、内外を問わず、ほとんどが真珠湾事件から始まっています。

 ところがそうした視点で書かれたものは、不思議なことに「なぜ日本が真珠湾を攻撃しなければならなかったのか」についての因果関係が、まったくといっていいほど触れられていません。

 しかし考えてみれば、突然意味もなく、日本が国家意思をもって、ハワイにある米軍の軍事施設である真珠湾を攻撃するなど、ありえないことです。
さらに「米国は真珠湾を攻撃されたから日本を懲らしめるために戦争をしたのであって、軍隊は暴力装置であり、日本はその装置が暴走して無謀な侵略戦争を挑んだと書いているものもあります。

 しかしほんのすこし頭を働かせれば誰にでもわかることですが、これでは理屈に合いません。

 なぜなら第一に、日本の軍隊とは日本国の正規軍です。
そして日本は近代国家です。
その近代国家において、正規軍は国家の意思がなければ動けませんし、動きません。
どこぞの国の軍閥ならいざ知らず、一国の軍隊が何の理由もなく勝手に戦争を始めることなど不可能なことです。

 第二に、日本が米国に対する侵略意図があったのなら、真珠湾において、日本軍はほぼ無傷で米太平洋艦隊を壊滅させるという快挙を果たしたのです。
なぜそのビックチャンスに、そのまま米国本土まで攻撃に行かなかったのでしょうか。
あるいは米国本土とまではいかないまでも、どうしてハワイ全土を占領しなかったのでしょうか。
日本は、真珠湾攻撃で、米軍の艦船を壊滅させただけで、そのままきれいさっぱりと引き揚げています。
ということはつまり、日本には「米国を侵略」する意図など、皆無であったということです。

 第三に、戦争は、何の脈絡もなく、突然はじまるものではない、ということです。
戦争には戦争目的があり、かつその目的を生むだけの経緯があるものです。

 米国の歴史家として有名なモーゲンソーは、
「近代ではすべての戦争責任は
 敗戦国に押しつけられる慣習になっている」
といいます。
なぜなら、
「自国に都合の悪い歴史研究は喜ばれない」
からです。(モーゲンソー著『真珠湾』)

 つまり、なにかが意図的に隠されているのです。
そこで真珠湾攻撃をちょっと遡ってみると、面白い事実がぞろぞろと出てきます。

 直前の昭和16(1941)年11月には、ハルノートによる対日要求がありました。
 7月には、米国の日本資産凍結やABCD包囲網がありました。
5月には、支那南部における米陸軍航空隊の義勇軍を偽装した宣戦布告のない対日攻撃が行われています。

 それだけではありません。
昭和14(1939)年には、米国は通商航海条約を一方的破棄しています。
昭和12(1937)年には、支那事変が勃発しているのですが、このとき日本は、事態の穏便な解決を図るために、日支講和のための仲介を米国に依頼していますが、なぜか米国はこれを拒否しています。

 さらに同年には、米国は日本と敵対する蒋介石に対し、15億ドルという途方もない大金を与えたのみならず、蒋介石にその後も継続して軍事援助を行っています。
細かなことをあげると、さらにもっともっと沢山の米国による工作活動がぞろぞろと出てきます。

 「戦争は外交(国際戦略)の延長である」
と言うのは、有名なドイツプロイセンの戦略家クラウゼビッツの言葉です。
そしてそれが国際社会の常識なのです。
ではなぜ米国は反日外交を繰り広げたのでしょうか。

 戦前の日本の対米政策は、まさに「友好」一辺倒です。
世界各国との対立を好まず、あくまでも相互の和を求めようとするのは、いまも昔も変わらない日本外交の根本姿勢です。

 ワシントンの桜は有名です。
これは戦前に日本が日米友好のために贈ったものです。
また米国産業界にとっても日本は、貿易規模第三位の国でした。
しかも他の諸国と異なり、支払いでまったく問題を起こさない、まさに上得意先でした。

 日本の対米輸出は、現在と違って生糸ぐらいしかなかった時代です。
当然、米国の対日貿易収支は、大幅な黒字です。

 にもかかわらず、なぜ米国は牙をむき出し、日本を追い詰ようとしたのでしょうか。
それだけなく、さあ戦争が始まると、米国は日本に原爆まで落としました。
同じ第二次世界大戦でも、日本とともに連合国と戦ったドイツやイタリアには、原爆の投下はされていません。
原爆投下の計画さえありません。
けれど日本には、早くから原爆投下が計画されていました。
米国は、なぜ日本に、そのような非情なことができたのでしょうか。

 いまでも多くの高校や大学の歴史授業では、日米関係史において、パーセプション・ギャップ(誤解)が原因であったと教えています。
日米が互いに政策を誤解して戦争になったというわけです。

 しかしこれもまた、おかしな話です。
誤解があるなら、話し合えば良いだけのことだからです。
すくなくとも日米開戦前までは、ちゃんと外交ルートは確立していたのです。
 誤解ではなく、追いつめる意図がなければ、そもそも戦争など起こるものではありません。

ヘレン・ミアーズ女史は著書に、
「戦争前の外交記録を調べれば、
 米国が日本を一方的に圧迫したことは
 誰の目にも明らかである」
と記しています。(『アメリカの鏡日本』) 

 日米戦争の発端とされる真珠湾事件に関しても、日本にいたグルー大使が、日本が真珠湾を攻撃する準備をしているという警報が、米国政府にもたらされています。
それは、実際に攻撃が行われるよりも、十か月も前のことです。
これも現在インターネットで公開されています。
<ご参考>
駐日大使グルーの国務省あての公電報
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-773.html

 さらに米国は日本の暗号も解読していました。
米国にとって、真珠湾攻撃は、実は「奇襲」でもなんでもなく、既知の出来事だったということです。

 つまり米国政府は、「日本が真珠湾を攻めて来る」ことを知っていて、それに対する対抗準備をとることを真珠湾の駐屯艦隊に知らせていなかったのです。
 簡単にいえば、真珠湾に駐留していた米国人の大事な兵士たちを、米国政府が国家意思として見殺しにしたのです。
そして米国は、対日戦争を準備していました。

 ではその動機は何だったのでしょうか。
その対日攻撃政策は、どこまでさかのぼるのでしょうか。

 これについては諸説あります。
なかには黒船来航のときまでさかのぼるという説もあります。
私は、ワシントン軍縮会議を原点とするという立場をとっています。
ただ、このことを書き出すと、猛烈な紙数になってしまうので、今日は「満州およびChina」にだけスポットライトを当ててみたいと思います。

 どういうことかというと、「米国は満洲とChinaが欲しかった」ということです。
この一点で、米国の対日敵視政策の謎が解けるからです。

 多くの人は、あれほど広い領土を持つ米国が、満洲など狙うはずがない、と思うかもしれません。
しかし当時の米国は、白人の「植民地主義国」の一つです。
アフリカにせよアジアにせよ、そこにあるのは蛮族のテリトリーであり、近代国家とは認識されていません。
その蛮族は、人でさえありません。
猿の一部であり、ヒトモドキです。
たとえば「黒人は刺しても殴っても痛みを感じる神経を持たない」などと、真剣に信じられていた時代です。
そして近代国家は、そうした蛮族を支配し、使役することが、世界の常識となっていました。

 欧米諸国における当時の「民主主義」は、もちろん「人間は平等である」というものです。
けれどこれには但し書きがつきます。
すなわち「有色人種は除く」というものです。
米国は、他の欧州諸国同様、アジアに植民地を欲していたのです。

 米国の極東進出戦略は、明治32(1899)年のジョンヘイ国務長官の「支那門戸開放機会均等」宣言に始まっています。
米国は西部開拓が終わると太平洋に進出し、ハワイを占領し、スペインから独立したばかりのフィリピンを武力占領して植民地にしました。
そして次の標的が清朝滅亡で統一政権が失われて軍閥が割拠していた支那満洲だったとされています。

 日露戦争当時は、米国は日本に好意的でした。
けれど、国際関係において、ただの好意というものはありえません。
そこには目的と利害があります。
つまり国益がそこあるのです。

 日露戦争当時は、ロシアが満州全土を占領しようとしていました。
そうなれば、満州を米国が支配できる日は、まず永遠にやってきません。
だからこそ、米国はロシアの南下を防ぐために日本に手を貸したのであって、日本が好きだからとか、そうした情緒的なものは、そこに一切関係がありません。

 日露戦争後、ポーツマス講和条約が交されました。
このとき南満州鉄道の権益は日本に割り当てられました。
けれど米国は、後からこれを取り上げるつもりであったというのは、いまでは常識です。
小村全権の帰国に際し、米国の鉄道王ハリマンが日本政府に対して、南満州鉄道の買収を申し出ているからです。

 日本政府は、小村の意見具申によって、米国の申し出を断りました。
するとこれを境に、米国の対日姿勢がガラリと反日に転換しています。
ハリマンの提案自体は、単なるいち企業のビジネス上の利益を求めた提案ですが、米国はそうした一部のエスタブリッシュメントが政治を牛耳る国です。

 ただし満州は、米国本土から八千キロも離れています。
そこに米国が直接介入することは、米国民に対してこれを正当化するのは、難しいことです。
そこで米国は、支那の軍閥をひそかに援助することで、対日条約違反行為をやらせています。
日本は、何度も協定違反を米国に抗議しましたが、まったく放置されています。

 米国の元外交官マクマレーは、大戦後の極東情勢を正確に予測して、日米戦争の回避に努めたことで有名な人です。彼は、
「1920年代のワシントン体制を一番守ったのは日本であった」
「これを破壊したのは米国であった」
と明確に述べています。

 日本は、張学良の排日行為の激化により、昭和6(1931)年の満州事変で、治安維持上やむをえない措置として張学良を満州国外へ追い出しました。
すると、米国は早速、スティムソン国務長官が満州国否認宣言を発表しています。(昭和7(1932)年)。
満洲にこだわっていた米国の意思がわかります。

 そして同年、米国は国際連盟を通じて日本に、満洲の白人植民地宗主国による共同支配を要求しました。
松岡全権はこれを断固拒否して、国際連盟を脱退しました。
松岡全権の国連脱退劇は、日本の軍国主義の象徴などではなく、軍事力を背景とした横暴に対する、日本の国家意思としての抗議だったのです。

 この後米国は、昭和7(1937)年、ソ連が蒋介石を使って支那事変を起こすと、日本の講和仲介を断るだけでなく、反対に蒋介石に、当時のお金で15億ドル(いまの30兆円くらいの価値)という、途方もない金額の軍事援助を与えました。
まさに火に油を注いだのです。
満洲獲得のために、先行して日本を戦争に駆り立て、日本を疲弊させようとしたのです。

 また支那事変後にひとつ顕著になったことがあります。
それは日本が占領した地域では、Chinese同士の暴力行為が禁止され、きわめて高いレベルでの治安が維持されたということです。
このことの何が問題かというと、それまでChina社会の混乱に乗じて、また外国の白人勢力と組んで暴力や麻薬の売買で大儲けをしていたChinaのある少数民族の利権が失われたということです。
このことは、Chinaの民衆にとっては、とても良いことです。
しかし、利権を失ったその一族にとっては、重大な利益喪失事項です。

 その一族は、China国民党にも、毛沢東の八路軍にも一族を送り込んでいました。
そして双方が戦ってくれれば、武器や弾薬を白人から調達し、そこでも大儲けしていました。
ところが日本がやってきて、彼の地に平和と安定をもたらしてしまったわけです。
つまり彼らにとっては、日本はまさに「憎むべき侵略国」でした。

 そこでその一族が行ったことが、米国での反日活動です。
彼らはその年のうちに米国に上陸すると、昭和8年(1938)7月には、米国内で「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」という組織を立ち上げています。
発起人には、YWCA北米同盟のマーガレット・フォルシスや、作家のヘレン・ケラー、パール・バック、『ネイション』副編集長のマクスウェル・スチュワート、『アメレジア』編集長のフィリップ・ジャッフェ、元国務長官のヘンリー・スティムソンなどが名を連ね、理事長には元在漢口アメリカ総領事のロジャー・グリーン、事務総長には、元北京大学教授のハリー・プライスなど、著名人がズラリと顔を揃えました。
面白いことに、女性は別として、男性の発起人や理事、あるいは彼らの用意したパンフレットに名を連ねた、60歳以上の米国著名人男性たちは、いずれも20歳前後のChineseの若い女性があてがわれています。

 そしてこの「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」の主張は、その1年後には米国内の主流派の意見となり、ルーズベルトは、こうした反日世論を巧みに利用して、平和主義者を装いながら、実質的な対日宣戦布告ともいえる日米通商条約破棄という暴挙を実行しています。

 私たち日本人は、テレビの影響もあってか、スパイというと裏方で工作活動をする忍者のような存在をすぐに想像してしまいます。
しかし世界における一流のスパイというものは、実はきわめて有名な著名人であるのが世界の常識です。
これは当然のことで、影響力がなければ工作にならないからです。

 ちなみに戦後においても米国政府要人には、Chineseの若い女性があてがわれ続けています。
誰とはいいません。
調べればいくらでも出てくることです。

 要するに国や政府に関係なく、Chineseなら一族の繁栄、米国なら米国企業のスポンサー(株主)となって、米国経済を牛耳る人たちにとって、日本よりもChinaや満洲の市場の方が、おいしくて立派に見えたわけです。
実際に付き合ってみれば、お金は払わないし、約束は守らないし、とんでもない連中とわかります。
しかし、だからこそ武器を突きつけて言うことをきかせるのだし、そのための武器がまた売れるわけです。
日本ではそうはいきません。
日本人は約束を守るから、武器を突きつけるわけにいかないし、そもそも武器を買ってくれません。
逆にいえば、いま日米関係が比較的良好なのは、日本が米国製の武器を買う顧客だからです。

 損か得か、儲かるか儲からないか、彼らにはそういう視点しかないのです。
 儲かることが正義であって、そのために人がどれだけ死のうが、彼らには関係のないことです。

 ところが世界は複雑です。
昭和20(1945)年に日本が降伏すると、米国のお金持ちたちは、これで支那満洲が手に入ると期待しました。
米ルーズベルト大統領は、ヤルタ協定でスターリンに帝政ロシアが持っていた支那利権を認め、スターリンが満洲を占領することも認め、しかる後に、その後蒋介石を傀儡政権に仕立てて、支那満洲を支配しようとしました。

 そのスターリンは、権益を手に入れると、あれほど堅く約束したヤルタ協定をあっさり破って、満洲を蒋介石ではなく毛沢東に渡してしまったのです。
米国大統領特別補佐官アルジャー・ヒスは、ソ連の工作員です。
米国政府内の厭戦気分を知っている。
米国が、直接満州や支那に反撃にでることはない、と踏んだのです。

 この結果昭和24(1949)年、支那満洲全土は共産化し、米国は19世紀から営々と築いてきた支那の全拠点から追い出されてしまいました。
これについてはマッカーサーも、
「支那の喪失と共産化は、
 米国太平洋政策百年の
 最大の失敗であった」
と総括しています。
要するに、日本の占領は、それ自体が米国の目的ではなかったことがわかります。

 米国の占領政策は、これを機会に、日本の武装解除から自衛促進にガラリと方向性が変わりました。
もちろん朝鮮戦争への日本の参戦期待もありますが、一石が二鳥にも三鳥にもなるようなものが政策となるのです。
そして米国にとって、支那満洲進出が不可能になった以上、日本の占領は米国に何の利益もなく、却って国防代行が負担になってしまう事態となりました。

 そこで日本を早期に再軍備させようとしました。
吉田首相は朝鮮戦争で、新たに編成された新日本軍が、国連軍名目で朝鮮半島に送られることを警戒し、詭弁を弄してダレスの再軍備要請を断りました。
そして日米は安保条約を結び、今日に至っています。

 マッカーサーは、昭和26(1951)年に更迭されました。
これも、彼の失政によるというより、国際情勢の変化に伴う役割の終了です。
 マッカーサーが議会で大東亜戦争を日本が自衛のために行ったと述べたのは、個人的な歴史観ではなく、米政府から指示されて日本の再軍備を促進するために行った発言ともいわれています。
彼の占領統治によって、軍事力恐怖症に陥った日本人を、あらために覚醒させるためのものでもあったのです。

 かなりはしょっていますが、以上が日米戦争の原因と今日にいたる経緯です。
 こうした米国の極東政策の変遷は、表面的には大きく変わりましたが、自国の利益を追求すると言う意味では一貫しています。

 戦前、米ソの傀儡であった蒋介石は、戦後米国から役割終了で一度は見捨てられ、その後冷戦で関係が改善しました。
蒋介石は、
「米国という国は、
 それまでの関係にこだわらず、
 一夜にして百八十度の政策転換をする国であるから
 常に注意する必要がある」
と述べています。

 日本人は国際関係の冷厳さを知り、一日も早く、真の独立自尊を回復しなければならないと思います。
現在の米国も、それを求めています。
世界が、その日を待っているのです。

 待っていないのは、欲に駆られた特アと、そのスパイ工作に籠絡された日本の一部の左翼系議員と、同じく籠絡された日本の大手メディアくらいなものです。

※この記事は、2012年12月8日の記事のリニューアルです。





「大和心を語るねずさんのひとりごと」ブログより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/



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